ぼくわたしの「死にたい」展
愛知県立芸術大学デザイン専攻メディアデザイン領域3年企画展
愛知県立芸術大学デザイン専攻メディアデザイン領域3年企画展
2015年2月20日(金)~3月1日(日)
「死」を使った比喩表現や言い換えは、さかのぼればはるか昔から存在している。それの、現代の姿は「死にたい」という言葉である。
私たちは日々「死にたい」に囲まれて生きているが、この言葉をどう理解して、受け入れ、使っているのだろうか。
この展示は、「死にたい」を目に見える形にすることで、この言葉がもつ力を来場者に感じてもらおうという展示である。
私たちは日々「死にたい」に囲まれて生きているが、この言葉をどう理解して、受け入れ、使っているのだろうか。
この展示は、「死にたい」を目に見える形にすることで、この言葉がもつ力を来場者に感じてもらおうという展示である。
メンバー
東宏樹
稲葉瑞佳
井谷友里恵
古崎彩夏
木下晴香
山口愛加里
後藤佳奈
斎藤安見子
山城鈴奈
藤井美衣
若林友里子
稲葉瑞佳
井谷友里恵
古崎彩夏
木下晴香
山口愛加里
後藤佳奈
斎藤安見子
山城鈴奈
藤井美衣
若林友里子
ごあいさつ
本日は「ぼくわたしの死にたい展」にご来場いただき、ありがとうございます。
本展は、愛知県立芸術大学デザイン学科メディア専攻の三年生総勢11人によって企画したものです。
さて、現代の若者に愛用されている「死にたい」という言葉があります。
ここにいらっしゃったあなたも、ふと口の端にのぼってしまった経験をお持ちではないでしょうか?
私たちがこの言葉を使うとき、そこにのせる感情はさまざまです。
ネガティブになっている時だけでなく、ポジティブな意味合いでも使います。
言葉にできないなにかを言い換えて、この言葉を選びます。
しかしながら、私たちが生きるのは「死」をタブー視する社会です。
日本語において「崩御」「天に召される」「永眠」「逝去」「鬼籍に入る」「星になる」などさまざまな言い換え表現があるように、「死」とは絶対に口に出してはいけない言葉として扱われます。
なのにも関わらず、なぜ「死にたい」という言葉を使うのか。
そこに込められた意味や感情を読み解くことで現代社会の深淵を覗き込むことができるのではないか。私たちはそんなふうに考えました。
若者たちの「死にたい」という言葉に込められたメッセージを通して、
彼ら―私たちでもある―の見ている世界というものを、ここに展示している作品に落とし込んでみたつもりです。
「死にたい」とは不思議な熱量を持った言葉です。この言葉が身近である人も
そうでない人も、「死にたい」という言葉の持つ力について、そしてその影響力について、少しでも思いを巡らせていただければ幸いです。
ぼくわたしの「死にたい」展 展示あいさつより
本日は「ぼくわたしの死にたい展」にご来場いただき、ありがとうございます。
本展は、愛知県立芸術大学デザイン学科メディア専攻の三年生総勢11人によって企画したものです。
さて、現代の若者に愛用されている「死にたい」という言葉があります。
ここにいらっしゃったあなたも、ふと口の端にのぼってしまった経験をお持ちではないでしょうか?
私たちがこの言葉を使うとき、そこにのせる感情はさまざまです。
ネガティブになっている時だけでなく、ポジティブな意味合いでも使います。
言葉にできないなにかを言い換えて、この言葉を選びます。
しかしながら、私たちが生きるのは「死」をタブー視する社会です。
日本語において「崩御」「天に召される」「永眠」「逝去」「鬼籍に入る」「星になる」などさまざまな言い換え表現があるように、「死」とは絶対に口に出してはいけない言葉として扱われます。
なのにも関わらず、なぜ「死にたい」という言葉を使うのか。
そこに込められた意味や感情を読み解くことで現代社会の深淵を覗き込むことができるのではないか。私たちはそんなふうに考えました。
若者たちの「死にたい」という言葉に込められたメッセージを通して、
彼ら―私たちでもある―の見ている世界というものを、ここに展示している作品に落とし込んでみたつもりです。
「死にたい」とは不思議な熱量を持った言葉です。この言葉が身近である人も
そうでない人も、「死にたい」という言葉の持つ力について、そしてその影響力について、少しでも思いを巡らせていただければ幸いです。
ぼくわたしの「死にたい」展 展示あいさつより